skip to Main Content

2025年度 海外遊学スタート!

ゴトー養殖研究所の入社前研修制度「海外遊学」。

今年も1名の新入社員が、自ら企画したヨーロッパ遊学の旅に出発しました。

昨年に引き続き、本年も2月20日から遊学レポートを随時交信していきます。

●海外遊学の期間:2025年2月20日~2025年3月24日
●遊学先:中東1カ国、ヨーロッパ9カ国

・UAE(ドバイ)
・ギリシャ(アテネ、キアト、パトラス)
・イタリア(バーリ、ナポリ、パレモル、シラクーザ)
・スイス(ジュネーブ)
・スペイン(バルセロナ、マドリード、トレド)
・フランス(パリ、ポントルソン、モン・サン・ミッシェル)
・ドイツ(ケルン)
・デンマーク(コペンハーゲン)
・ノルウェー(オスロ、ベルゲン、ボムロー島)
・イギリス(ロンドン)

 

Hさんの海外遊学レポート

2025年3月11日(火)
フランス

今日は1日パリを観光し、オルセー美術館とシェイクスピア&カンパニー書店を訪れ、凱旋門の屋上からでエッフェル塔のシャンパンフラッシュを見ました。
オルセー美術館は19世紀ごろの絵画や彫刻が展示されており、ゴッホの自画像やモネの日傘をさす女などのポスト派や印象派の作品が多く展示されています。美術の教科書で見たことのある作品を多く見ることが出来ました。またモネの光や影の着彩が好きなので実物をじっくり鑑賞してきました。


オルセー美術館を訪ねた後、セーヌ川沿いに移動してシェイクスピア&カンパニー書店に行きました。自分もChatGPTにパリの観光地を列挙させていた時に初めて知った場所です。調べるとヘミングウェイやフィッツジェラルドなどの有名な作家が通い、ジョイスがユリシーズを出版した本屋だそうです。また、この書店は自伝の1ページを提出すること、書店で2時間働くこと、1日1冊本を読むなどの条件を満たすと無料で2階に泊まることができます。これは貧しい作家に宿を貸していたことが現在にも引き継がれているそうです。粋ですね。ということでその書店に訪れました。見た目は洒落た感じで、書店なのに人が並んでいました。中に入ると天井まである本棚に所狭しと本が並んでいました。そして、当たり前のことですが、表紙やタイトルを見ても自分の好きそうな本が分かりませんでした。普段、日本の本屋では出版社や著者、タイトル、フォントなどでなんとなく面白そうか想像できます。しかし、ここは英文書専門の書店。今までの経験値が殆ど死んでしまい全く検討が付きません。とても新鮮な感覚です。書店をうろうろしながら3冊ほど本を見繕い、購入しました。購入するとシェイクスピア&カンパニー書店のハンコを本に押して貰えました。


その後、凱旋門の屋上に登りエッフェル塔のシャンパンフラッシュを見ました。エッフェル塔を遮るものがないのでとても良い景色でした。マドリードで会った日本人旅行者にお勧めされていたので見にこれてよかったです。

2025年3月10日(月)
フランス

モンサンミッシェルを観光してきました。ネットでは様々な観光サイトが「西洋の驚異」「海上のピラミッド」と褒めそやかしており、物凄く期待が高まっていましたが、実物はそれを超えてきました。実際に見れた感動による補正も入ってるとは思いますが非常に良かったです。

シャトルバスで桟橋の途中まで移動し、そこから徒歩で向かいました。シャトルバスを降りるとネットやテレビ等でよく目にする、あのモンサンミッシェルの姿がありました。天気予報では曇りでしたが、このタイミングで晴れ間が広がり、青空と神秘的な古城のコントラストがとても美しかったです。城内ではカモメの鳴き声が響き、雰囲気を一層引き立てていました。内部も荘厳で、長い時をかけて増改築された様々な建築様式が見られました。調べると8世紀から12世紀にかけて建築されていたみたいです。

午前の最初のシャトルバスで行ったので、人も少なくゆっくり見学できました。それにしても日本人観光客が多く、まるで日本の観光地のようでした。帰りのバスは8割がたが日本人でした。

昼食は名物のオムレツをいただきました。オムレツ1つが46ユーロ、日本円にして約7300円もしました。今まで食べたオムレツで最も高価で、今後も超えることはないでしょう。チーズを用いたオムレツを頼んだのですが、チーズのクセもそこまで強くはなく、とても美味しかったです。

2025年3月9日(日)
フランス

旅にトラブルは付き物だとは言いますが、妙に多い気がしています。
そういえば今年、本厄なんですよね。関係あるのでしょうか。

今日はポントルソンに移動しました。予約していたホテルに着くと、閉鎖されていました。
はじめは住所を入れ間違ったのかと思いましたが、看板にホテルの名前が書かれており間違いではありませんでした。
控えていたホテルの電話にかけても繋がらず、入り口に貼りでしてあった電話番号にかけても繋がりません。何のための事前予約だったのでしょうか。
知らない海外の街中で1人、根無し草になりました。
時間もそろそろ19時。日が暮れ始める頃合いです。
取り敢えず、代わりのホテルが必要になりました。
通りかかった地元の方に営業しているホテルに案内していただき、泊まるところを確保することが出来ました。1人で心細い中、親切にして下さりありがとうございました。

その後、ホテル近くのレストランでプレサレを食べました。プレサレとはモンサンミッシェル付近で育てられている羊の肉で、海藻を食べさせているそうです。
羊臭さをそこまで感じず、柔らかくて美味しかったです。

いよいよ明日、行きたいと思っていたモンサンミッシェル観光です。楽しみです。

2025年3月8日(土)
スペイン→フランス

今日はマドリードからバロセロナで乗り換えしてパリへの移動日でした。そして今日、バロセロナのサンツ駅では問題が多発していました。午前中はマドリードとバロセロナ間で事故が起こり全ての高速列車の運行が麻痺、午後はサンツ駅からジローナ方面、つまりパリへと向かう高速列車が3本ストップしました。この駅はスペインの主要なハブ駅の一つであり、自分が乗り換えする駅でもあります。
自分もこれに巻き込まれましたが、バロセロナとパリ間の遅延だけですみ、運良く致命傷は避けられました。ただ場合によっては計画が破壊されていたので、よりによって移動日に問題を起こさないで欲しかったです。

バルセロナからパリへ向かう列車での6時間、隣に座っていたデイビッドさんと仲良くなりました。彼はパリの空港からカンボジアへ向かう途中とのことでした。旅の予定や出身地などを話す中で、「mérou」という単語を教えてもらいました。これはフランス語で「ハタ」という魚の名前で、自分の名前「ミル」と発音が似ていると教えてもらいました。ここ最近、“Can I buy a ticket here?” のような定型文ばかり使っていたので、久しぶりに自然な会話ができたのが新鮮でした。拙い英語にも丁寧に対応してもらい、簡単な単語で話してくれたおかげで、なんとか会話が成り立ったかなと思います。

2025年3月7日(金)
スペイン

スペイン観光において、「スペインに1日しかいないなら迷わずトレドへ行け」という格言があります。出典は不明ですが。
トレドは1561年までスペインの首都だった所であり、その特徴として、イスラム教、キリスト教およびユダヤ教の3つの異なる宗教を信仰する人々が共存し、文化を醸造してきた点が挙げられます。今日ではこの特徴を現存する当時の街並みや建築様式から見て取ることが出来ます。それぞれの宗教様式の建物が残るだけでなく、それぞれの宗教様式が融合したムデハル様式の建物もあり、トレド旧市街地全体が世界遺産に登録されています。


ということで、スペインカトリック教会の総本山であるカテドラルやサント・トメ教会などを見ながらトレド旧市街地を観光しました。カテドラルは先に述べたムデハル様式を採用しており、キリスト教の建物なのにイスラム教の建築様式も取り入れた珍しい建物です。聖堂内は大きな教会らしく奢侈な装飾で埋め尽くされ、特に内陣とその裏のトランスパレンテが印象に残りました。しかし今回見たかった聖体顕示台は見られませんでした。パンフレットには展示されているとあったのですが、見つかりませんでした。


また、旧市街地観光も当時の街並みの中をブラブラするのも、それだけで楽しかったです。お土産屋の並ぶ通りを散策していると、剣や鎧、包丁を販売している店が多くありました。調べてみると中世の頃は刀剣の名産地として知られていた様です。ただ、日本のお土産屋の木刀みたいなノリで剣と鎧が置いているのは面食らいました。

2025年3月6日(木)
スペイン

今日は王宮とサン・ミゲル市場へ行き、フラメンコを鑑賞しました。どれも良く、特にフラメンコ鑑賞が印象に残っています。丁度鑑賞出来た席が舞台の隣りでした。おかげで、踊り手の足捌きや一挙手一投足を直近で鑑賞することが出来ました。非常に迫力がありました。靴音や手拍子の作るフラメンコのリズムが独特で面白かったです。また、舞台の演者だけでなく客席からの拍手や掛け声で段々舞台が盛り上がっていき、フラメンコのリズムを通じて、演者と客との一体感が出てきて非常に楽しかったです。

2025年3月5日(水)
スペイン

今日はプラド美術館、ティッセン・ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センターと美術館を中心に巡りました。今日だけで相当数の絵画を鑑賞しました。

ゲルニカと我が子を喰らうサトゥルヌスをはじめとしたゴヤの黒い絵シリーズが特に印象深かったです。ゴヤの作品群は綺麗な宗教画や人物画が並ぶ中に急に正気の削れる絵画が出てきて、余計に印象に残りました。また、教科書で見たことのある作品がいくつかあり実物で見れて良かったです。

それにしても芸術鑑賞は難しいです。美術館に収蔵、展示されるのだから素晴らしい絵画なのでしょうが、どれも似たような絵画に見えて、途中からガイドブックにある絵画を探すオリエンテーリングをしている気になってしまいました。もったいない見方になった気がします。
実際に鑑賞している方の中にスケッチしている方が何人かいらして、しっかり味わっている様に感じました。せっかく著名な美術館に来ているのだから、凄さを体感したかったです。芸術鑑賞の素養はどうやって身につければ良いのでしょう。

2025年3月4日(火)
スペイン

午前中にサグラダファミリアを見学したのちに、マドリードへ移動しました。サグラダファミリアは凄かったです。ガウディ建築を貫くコンセプトである調和を感じ取れたと思います。昨日巡ったカラバサ等では全然分からなかったので鑑賞力が成長したかも知れません。

勘違いかも知れませんが。中に入ると威圧感を感じず、とても柔らかい雰囲気の空間でした。建物全体が曲面で構成されているからかでしょうか。今まで巡ってきた石造の聖堂は厳かさや硬い場所だったのでとても意外でした。

また日光が室内に入り全体的に明るく、ステンドグラスを透過した光が綺麗でした。

マドリードに着いてからは、サッカーを見ながらお酒を飲み、スペインらしく過ごしました。

2025年3月3日(月)
スペイン

今日はバロセロナ観光ということで、カサミラやガウディ公園のガウディ建築群やカタルーニャ音楽堂、サンジュセップ市場に行きました。元の計画ではミロ美術館やピカソ美術館に行く予定だったのですが、今日が定休日だったようで、明日の予定を前倒しにして建築を回りました。ガウディの最初のイメージは個性的な建物を造ってた人でした。しかし、この個性は単に奇抜さだけを求めたのではなく、設計合理性があってあの形になったと知りました。

サンジュセップ市場へ向かう途中、街の本屋に通りかかったのですが、入り口に本の渦のモニュメントが設えてありました。昔の芸術作品が残っているだけでなく、今なお芸術が生活に根ざしていることが印象に残りました。

2025年3月2日(日)
フランス→スペイン

今日はスイスを出てフランスを通りスペインへ移動しました。

フランスのリオン駅で鉄道を乗り換えるのですが、その売店でワンピースとコラボしている”Komasa”というお菓子を見つけました。バーベキュー味とケチャップ味の2種類あり、バーベキュー味の方を試してみると、ラー油感のあるぽたぽた焼きみたいな味でした。少なくとも日本のバーベキュー味ではなかったです。

その後つつがなくスペインに到着し、ホテル近くのバルでパエリアを食べました。米がアルデンテで面食らいましたが、美味しかったです。

2025年3月1日(土)
イタリア→スイス

どうやら自分がフェリーに乗ろうとすると、何かしらの珍事が起こるらしいのです。今回は自分が引き起こした側ですが。

パレルモからナポリへフェリー移動するために港に来ていました。パレルモの港は広く、チケット売り場とフェリー乗り場が離れていて分かりづらい。グーグルマップも頼りにならず、1時間近く迷った末にようやくチケットを購入できました。しかし、次にどこへ向かえばいいのか分かりません。

搭乗時間が近づくと、チケット売り場の前に人が集まり始めました。フェリー行きのバスでも出るのかと思い近くの人に尋ねると、バスはないが自分と同じフェリーに乗るとのことで、着いていくことにしました。

道中、話をしてみると、彼らは16歳の現地学生で修学旅行へ向かうところでした。道理で出発前の集団は年齢層がバラバラだったのに、移動を始めたのが若者ばかりだった訳です。よく見ると、大人が先頭と最後尾に数人ついています。おそらく引率の先生でしょう。

つまり今の状況を整理すると、キャリーケースを引いた現地高校生の修学旅行団体に、バックパックを背負った怪しいアジア人男性がしれっと紛れ込んでいる構図になるわけです。

幸い、引率の先生に怪しまれることもなく、無事フェリーに搭乗できました。

その後はナポリに到着し、鉄道が出るまでヌオーヴォ城とナポリ王宮を観光し、無事ジュネーブに着くことが出来ました。

2025年2月28日(金)
イタリア

今回はシラクサの市場でアーモンドとピスタチオを買い、パレルモの市場でパニーノ・コン・ミルツァを買い食いしました。アーモンドとピスタチオはシチリアの名産品でシラクサの市場で何店舗も売られていました。まだ食べていないのですが今晩のフェリーの中で食べようと思います。

ミルツァは牛の脾臓と肺をラードで煮込んだものをパンに挟んで食べるものです。ジャンクな感じですごく好みでした。

2025年2月27日(木)
イタリア

パレルモからシラクサへ移動して、半日観光しました。
シラクサはアルキメデスの故郷であり、走れメロスの舞台でもあります。

オルテージャ島を中心に散策し、アルキメデ広場やアポロ神殿、ドゥオモ広場に行きました。とても綺麗なところで歩き回るだけでも楽しい街でした。街歩きをしていると、魚の意匠があちこちにあることに気が付きました。

また観光客の通るメインストリートではない所にもキリスト教関連の彫刻があり、手入れされていたことが印象に残りました。夕方になると、西陽に石灰が照り映え幻想的な光景でした。

夕飯にはホテルの方にお勧めしていただいたレストランに行きました。シチリア料理を頂いたのですが、食べたことのない料理でした。カジキの身でクスクスを巻いて、柑橘系のソースがかかっていました。とても美味しかったです。

2025年2月26日(水)
イタリア

ナポリからパレルモへ向かうフェリーで珍事に見舞われました。就寝した22:30、急に扉の鍵が開き電気が付けられました。入ってきた方に話を聞くと、この部屋の予約をしていたらしく、ダブルブッキングしているらしい事が分かりました。幸い乗務員の方に新しい部屋を用意してもらったらしく、イタリアンカタストロフだとか述べながら去って行きました。珍しいと感じたのは、昨日も同じ体験をしていたからです。昨日の場合は、すぐに扉が閉められ、話すこともなかったのですが、2回乗ったフェリーで2回とも叩き起こされて珍しく感じました。

パレルモに着いたのち観光に向かいました。

パレルモ大聖堂やノルマンニ宮殿を巡りました。両方ともに荘厳でよかったです。

しかし午後から雨に振り込められてしまったので、ホテルでのんびりしてました。

2025年2月25日(火)
バーリ ~ ナポリ

今日も移動日で、バーリからナポリへパス移動、ナポリからパレルモまでフェリー移動です。
なので例によってこの日報もフェリー乗船前のフェリーターミナルで書いています。

さて、昨日バーリ行きのフェリーへ乗り込んだ訳ですが、自分は4人部屋の一室に泊まりました。ホテルのようにカードキーで鍵を閉められる部屋でした。個室ではないので、相部屋になった誰か来るのかと思いきや誰も来ません。

部屋に荷物を下ろした後、甲板へ出てアドリア海とポルコロッソ(紅の豚の主人公)の飛んでた空を眺めて、感慨に耽っていました。体の冷える頃に部屋に戻りました。

他にすることも無いので日本では見ないサイズのオレオを買ったり、本を読んだりして9:00に就寝。

翌朝、甲板で景色を眺めながら、昨日調子に乗って買ったオレオをモソモソと消費。
結構食べましたが、この日報を書いてる時点でまだ半分近く残っています。バーリに到着してすぐにバスに乗り、フェリー乗り場へ。

バスの車窓からオリーブ畑が見え、地中海らしい景色だと感じました。

2025年2月24日(月)
アテネ

今日はアテネからパトラスに電車とバスで移動し、パトラスからアドリア海を横断してイタリアのバーリへフェリーで移動します。

アドリア海はジブリの「紅の豚」の舞台です。自分は小さい頃から紅の豚が好きで、わざわざフェリーでの移動を選択した理由として、アドリア海を渡って見たいと思っていたからです。ただ海上だとWi-Fiが届かないことを失念していました。なので出発前のフェリーターミナルで文章を書いており、日本時間の8時に予約送信する設定にしています。今は日本時間だと23時あたりでしょうか。まだフェリー内は見れていませんが、とても楽しみです。

2025年2月23日(日)
アテネ

今日はデルフォイのアポロン神殿に行ってきました。

フォイはギリシャ神話の中心になる都市であり、ノアの方舟の原型となった大恐慌でもデルフォイのパルッソナス山に登り難を逃れたという伝説も残っています。
デルフォイにはアポロン神殿の他に博物館もされていました。 当初、博物館は新アクロポリス博物館のようにギリシャ、神話に基づいた整備があるくらいかなとたかを括っていましたが、意外なものも展示されていました。 スフィンクスです。は位置的にヨーロッパ、トルコ、エジプトの影響があったようにスフィンクスも遺跡から発掘されたそうです。

またデルフォイで見かけた意外なものとして、何匹かの犬?が参加していました。 リードも首輪もなく、近くに人もいない大型犬が街中を闊歩しており、通り過ぎる街の人は無関心で恐怖していました。 犬も人や車を恐れないので、妙に街に慣れてます。

2025年2月22日(土)
アテネ

どうなるか不明だったバックパックが無事戻ってきました。 充電器を貸してくださったり、荷物会社に連絡を取ってくださったホテルスタッフの皆様、日本からアドバイスや調べ物をしていただいた会社の方や両親に感謝いたしました。 おかげで、たった2日で荷物が戻り、見た目も不自由なく過ごせました。

今日はアクロポリスの遺跡群であるパルテノン神殿、古代アゴラ、ゼウス神殿、新アクロポリス美術館を訪れました。

特にパルテノン神殿は行きたい遺跡であったため非常に楽しみにしており、実際に行ってみて大変でした。個人的にはパルテノン神殿の隣にあるエレクティオンとオリーブを見られたのも僥倖でした。

遺跡群を観光する中で街を散策していると、街の終所に名もなき遺跡が点在し、イチゴなどの果物が路上で売られているのが印象に残りました。

お店に入りラザニアみたいなギリシャ料理を食べました。 ボリュームがあって美味しく、特に茄子が絶品でした。 昨日のピタで出されたトマトといい、ギリシャは野菜の美味しいところなのかもしれない。

2025年2月21日(金)
アテネ

アテネ空港に到着し、カウンターで預けた60Lのバックパックがベルトコンベアーに流れてくるのを、待っていました。時刻も22時を過ぎており、バスの時間もあるので早く荷物を取りたいなと待っていました。1時間かけてって荷物の搬送が終わり、自分の荷物は流れてきませんでした。 電光掲示板を確認すると、確かにドバイからの荷物が流れてくるレーンに間違いありません。
係員に事情を伝えると、「クレームタグ」の提案を求められましたが、不要だと思い捨てられました。 Google翻訳を使いながら、荷物の特徴や連絡先を伝え、会社や両親にも連絡。

午後から観光をスタートすることにし、中心部からいくつか離れている。アテネ国立考古学博物館を訪ねました。
バスで博物館へ向かいましたが、ギリシャのバスは紙のチケットをメトロで購入する必要があります。 チケットの種類も独特で、乗車回数や日数だけでなく、乗車時間で忘れられていました。 アテネ限定のチケットは90分と24時間の2種類があったため、24時間の方を購入しました。 バスに乗り、11分ほどバスチケットを消費して国立考古学博物館に到着しました。

館内では、目的だった「アガメムノンのマスク」を見たり、彫刻を鑑賞したりして過ごしました。ただ、「アンティキティラ島の機械」が訪れなかったのが残念でした。

夕食はタベルナ(ギリシャの伝統的な食堂)で、羊肉を使ったピタをいただきました。 ピタはギリシャ料理の種類で、ケバブに似た料理です。 パンの上にたっぷりの羊肉、トマト、ヨーグルトソースがいて、味も抜群でした。

2025年2月20日(木)
ドバイ

遊学1日目は成田空港から経由し、アテネ空港に到着しました。

ドバイ空港到着後、隣接しているドバイメトロに乗りブルジュハリファ/ドバイモール駅へ。 ブルジュハリファとドバイモールは一部が複合施設になっており、ドバイモール内のブルジュハリファの展望台入口へ向かいました。

エレベーターを降りると、超高層ビルが薄い霧を突き抜け、底から微かにオレンジ色が楽しめました。 左手にはアラビア海、右手には砂漠。 最も眺めらしい景色だ。

しばらくすると霧が晴れ、ビルの足元に広がる低層の建物が姿を現しました。 そのオレンジ色は砂漠に馴染んでいました。

展望台で満足した自分は開いてる店を探しながら迷子になりつつ、途中で「ザ・コーヒー」に立って休憩していました。迷子になりながら意外と日本関係の店が多いことに気づきました。ドコートには「うま味」、レストランでは「火(かんぱい)」や「かたな」など日本語の屋号をよく目にしました。休憩しましたこの喫茶店もカタカナで「ザ・コーヒー」。日本の要素はありませんが、自分みたいにふらっと観光に来た日本人が釣られていくのかなと感じました。

そこから水族館へ行ったり、有名なデーツを買ったりトランジットの空き時間を十分に遊び尽くし、目的地であるアテネ空港へむかいました。
しかし、アテネ空港に到着した自分を待っていたのはロストバゲージでした。

Back To Top